ききがきすと作品例

2009年4月30日

74歳。音楽大好きおじさんのつぶやき

〜NHK「世界の音楽」に聴き入った少年時代〜

担当ききがきすと:中尾 堯
聞き書き時期:2009年1月

 わたしは新潟県高田市(現在は上越市)に生まれました。今年、74歳になります。あの楽天ゴールデンイーグルスの野村監督と同じ生年月日です。

 なぜ?と訊かれても困ってしまうのですが、こどもの頃から音楽が大好きでしたね〜。当時はラジオくらいしかありませんでしたから、よく聴いたものです。NHKに「世界の音楽」という昼の30分くらいの番組があって、楽しい曲を沢山流してくれましてね・・・。前田憲男や三保敬太郎といった人たちが編曲をしていた番組です。時間になるとラジオの前に陣取り、聴き入っていました。司会者のテンポのいいおしゃべりが大好きでしたし、曲をたくさん聴かせてくれて、ありがたかったです。

 中学生だった時に、ABC交響楽団というオーケストラが近衛文麿という指揮者と一緒に、学校巡回ということで来たんですね。講堂でヨハン・シュトラウス「常動曲」(当時は無窮動と言っていた)の作品とシューベルトの「未完成」を聴きました。楽器の音がすごく迫ってきて感動しました。

 高校生の時でしたが、ブルーノ・ワルターとボストン交響楽団が長岡に来るというので、なんとかチケットを手に入れ、出かけました。残念ながらワルターは来ることができず、代わりにコンサートマスターが指揮をして、チャイコフスキーの交響曲第5番を聴きました。この曲は今でもわたしのナンバーワンです。

 印刷関係の職業に就いたのは、やはり家業を意識していたのでしょうね、いつかは実家に戻るかもしれないな…と。職場はいくつか変わりました。そして千代田区三番町にある広告会社が最後の職場になりました。写植のオペレーターをやっておりました。

 上京して間もなくの頃ですね、たまたまNHKの「お笑い三人組」という番組を、どういうわけか、スタジオで観る機会に恵まれましてね。あの頃は収録ではなく、生放送ですよ。いや、面白かったです。生の迫力、魅力というものを改めて感じました。

〜コンサート三昧の日々〜

上京してからは、嬉しいことに、コンサート会場が近くなりましたから、月に2、3回は聴きに行くようになりました。その頃は、コンサートに行く度に、その
印象をノートに書いて記録していました。今思えば、恥ずかしいくらいなのですが、当時は若気の至りで、ずけずけと書いたりしていたんですね〜。演奏家の苦
労も分からず、全く赤面の至りです。誰にも見せまいと決めているのですが、今回は特別ですよ。(一冊の黄ばんだノートを見せてくれた。青色のインクでびっしりと記録されている)

 印象に残っている演奏ですか? たくさんありますが、ひとつを挙げろと言われれば、なんと言ってもパリ音楽院管弦楽団ですね。その時の記録を見てみましょうか。

以下、ノートから抜粋。

パリ音楽院管弦楽団 1964・5・7 
C:アンドレ・クリュイタンス
ラベル・フェスティバル
1.スペイン狂詩曲
2.マ・メール・ロワ
3.ラ・バルス
4.クープランの墓
5.なき王女のためのパバーヌ
6.ダフニスとクロエ No.2

何とまあ、形容のできぬぐらいのすばらしさ。興奮してしまって疲労気味。この夜は夏の午後のような天気で、かったるい気分の上に、ラベルの官能的で華やか
な曲を、洗練された、キメのこまかなテクニックで艶やかに流されてはたまらない。その上に更に、クリュイタンスのダイナミックで流麗な指揮が加わったのだ
から、本当にまいった。ウーンと唸った。

 低音の魅力を奏でる弦、ことに管弦楽のうまさといったら頭が下がる。何とまあ表情豊かな艶のある演奏をすることか。また、打楽器群のよく訓練された技術。それにアンサンブルの見事なこと。よくもこれまで完成されたものだ。

クリュイタンスのエネルギッシュの中にもコケティッシュさもあるダイナミックな、形のよい指揮ぶりには眼をうばわれた。ときどきタクトを持ちかえて奏でる
甘い弱音部、大変な迫力のツエッティ。ラベルの特長が横溢した、清潔感のある演奏だった。真のフランス音楽、近代音楽の面白さが存分に楽しめた。

 とにかく、演奏といい、指揮者といい、現在まで小生の聴いた音楽の最高峰!こうまで完璧に切り込まれては、ただただ驚くばかり。この感激、生涯忘れ得ぬものになりそう。
 アンコール/ベルリオーズ「ハンガリア行進曲」
 しばし拍手なりやまず。楽団員が退場したのでやっと閉演というような形に相なった。よくぞこれまでやってくれました。これだから音楽はやめられない。

(記録の最後には「ラベルの真髄引き出す」という見出しの朝日新聞記事切り抜きも貼付。)

〜N響のモニターを依頼されたことも〜

最もよく通ったのはN響(NHK交響楽団)ですね。定期会員になりましたので、ほとんどの定期演奏会は聴いています。そして、そのたびに記録して、また、図々しくもN響に感想を送ったりしていたんです。そうしたらある日、N響の事務長という方から手紙をいただき、「N響モニター」を委託されました。そういうことで、昭和53年の1月から6月まで、モニターもやらせていただきました。

 N響以外もよく聴きましたよ。日フィル、東フィル、ワルシャワフィル、モスクワフィル、フィラデルフィア管弦楽団、ウイーンフィルハーモニー、ベルリンフィルハーモニー、レニングラードフィル、・・・来日した主な楽団はほとんど聴きました。

(もう一度ノートからの引用。1970年5月21日、上野の東京文化会館でのベルリンフィルハーモニー演奏記録)

♪ベルリンフィルハーモニー
 ヘルベルト・フォン・カラヤン

1.ベルリオーズ「幻想交響曲」
 さすが――と唸る他、言なし。厚みのある響き、暖かい情感に魂を奪われた感じで息をのんだ。

パリ管の楽員たちはどちらかといえば職人のテクニックを満喫させてくれたが、これはまた、それに加えて、アンサンブルの見事なこと。超一流の楽員達が、職
業意識に徹して、全く一生懸命、顔を真っ赤にして鳴らす。カラヤンの巧みな棒に、一糸乱れず、水ももらさぬ調和。一心同体としかいいようのないやりとり。
徹夜して入手した切符。苦労のしがいがあったというものだ。待ちに待ったカラヤンとベルリンフィルが今、眼前にある感激。

2.ラベル「ダフニスとクロエNo.2」
 打楽器にN響団員も賛助出演。透明度が高い響き。ついひきこまれてしまうカラヤンの指揮。
 拍手鳴りやまず、何度も顔を見せるカラヤン。解散後も拍手が続き、カラヤンのみ2度ほど姿を見せる。

〜ずっと歌い続けたい「第九」〜

 演奏はするのかって?
こどもの頃、家に尺八があったんです。演奏はできませんでしたが、音だけはでました。それだけだったのですが、たまたま、今住んでいる同じ団地内に尺八の会を組織して、指導してくれる人がいましたので、尺八を始めました。琴と合わせたりして、難しいけれど、楽しいですよ。

それから(ベートーヴェンの)「第九」ですね。ある時、新聞記事を見たんです。ポーランドに行って「第九」を歌わないかという内容でした。「川口第九を歌う会」という合唱団が団員の募集をしていたんです。1997年のことでした。応募の時に「合唱は初めてだけれど大丈夫だろうか?」と聞いたら「大丈夫!」というので団員になりました。練習に参加し、その年の暮れに初めて川口リリアのステージに立ちました。

初めての「第九」はそりゃ感動でしたよ。その余韻が冷めるまもなく、すぐにポーランドに演奏旅行に出かけたのです。カトヴィッツという町のホールで現地のオーケストラと共演しました。指揮者は浮ケ谷孝夫さん、オーケストラはポーランド国立放送交響楽団でした。ツアーではアウシュビッツ強制収容所などにも行きました。門に刻まれた「ARBEIT MACHT FREI(労働は人間を自由にする)」の文字、髪の毛などの展示品・・・などが印象に残っています。

写真:※アウシュヴィッツ強制収容所の門。
※アウシュヴィッツ強制収容所の門。

 その後も川口第九を歌う会に参加し、毎年、年末に「第九」を歌わせてもらっています。昨年(2008年)の指揮者はあの西本智美さん、オーケストラは東京交響楽団という豪華な組み合わせで、とても楽しく歌わせてもらいました。

2006年には、スペイン・ナヴァラ州のパンプローナという町へ演奏旅行にも行ったんですよ。そこは日本にはじめてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルのふるさとです。大きな教会の中で、現地の音楽学校のオーケストラと共演して「第九」を演奏したのです。聴衆である町の人々からはスタンディングオベーションをいただきました。素晴らしい思い出ですね。

写真:※教会での「第九」は素晴らしかった。
※教会での「第九」は素晴らしかった。

 ツアーの途中でバルセロナに寄った折には、リセウ劇場という伝統あるオペラ劇場でオペラを鑑賞しました。とても素敵な雰囲気の劇場でした。

 これからですか?

月に数回、コンサートを聴いています。交通費もバカにならないから、なるべくまとめて「はしご」をするんです(笑)。尺八も続けたいし、「第九」も歌いたいですね〜。とにかく「生で」音楽に接することが好きなんです。いつまでも、音楽とそんな付き合いができれば最高ですね。

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