
しなやか広場
2014年4月
「がん哲」日記(その2)
食べる
平成26年卯月 菊井 正彦
「がん哲」日記とは、“がん哲学外来“の言葉が気に入ったので使用しているが、がんのことばかりを書くわけでない。ただ、がんを患ってから、絶えず”食べる“ことに直面している自分がいる。
食生活のありかたについてはいろんな言い方があるだろうが、今の私の食事の原則は ①感謝して食べる ②腹をすかして食べる ③美味しく食べる の3つである。
昨年の年明け、ストーマ(人工肛門)をつけることになり、その後普通の食事ができるようになったころ、空腹を待って食べる食事が本当に美味しい、ということに改めて気がついた。また、正直「今生きていることがありがたい」という思いも湧いてきた。「いただきます!」「ごちそうさま!」を言うのを心がけているが、元気になってくると、時に①は忘れがちになる。
②は、賛同されると思うが、一般的には、時間がきたからとか、時間が調整できないからとかで、必ずしも実行されるとは限らない。自宅で昼食をとる時は、腹をすくまで待つことにしている。
③「美味しく食べる」とは「美味しいものを食べる」ではない。今の自分の身体にいいもの、避けたほうがいいもの、好みのレシピなどをリストアップし、妻にはそれなりに承知して料理してもらっている。が、味加減、汁の量、具の種類など、いま一つ好みにあわない時もあるので、それなら自分でやればいい。ということで、最近の朝、昼はキッチンに立つ。添加物の有無や食材への関心も増しているので、自分で買い物もする。本来めんどうくさがり屋だが、このあたり「食べる」ことについては、マメな夫である。といっても、本格的に「食事療法」を取り入れているわけではない。
これはいい、あれはダメとしばられるのは、かえってストレスになってよくないので、がんの食事としては必ずしも適切ではないが、いわゆる好きなものも飲食する。いつの間にかコーヒーを飲む嗜好も復活してきた。しばらく避けていた好きな酒も、寝る前に、まずは梅酒あたりからちびりちびりと始めたが、日本酒の旨さを想い起すにはもうちょっと時間が必要かもしれない。今、テレビではグルメ番組が氾濫している。味覚が戻らない時期、食欲が出ない時期にはこれらをせっせと観ながら、元気になったらあれも食べよう、これも食べよう、と生唾を飲み込んでいたわけである。
私の本棚には、正岡子規の有名な病状随筆が並んでいる。「仰臥漫録」ではないが、毎日つけている日記には、食事のことも書くことになる。自宅で食べるメニューについていえば、寒い時期は、朝は野菜ジュース(医者もすすめる伊藤園の中身の濃いやつを温める)とパン、豆乳ココア、昼はうどんか、残りご飯を利用しておじやを作る。このため、しまってあった土鍋を出してきてフルに使用している。そして夕食は、主采を魚で、というのが基本の構成になっている。実は、切らさないようにしているのが、「焼き芋」。なくなると、これを客寄せにしているスーパーへ買いにいき、朝昼晩、もうちょっと腹を満たしたい、という時の補食にしている。もっとも、「さつまいも」はガスになりやすい食品の類とある。気がつくとストーマの袋がパンパンに膨れている時があるのは、この「焼き芋」のせいかもしれない。
愛用の土鍋もちろん、食事は独りよりも相手がある方が美味しい。懐かしい人に会う時は、ピークを避け、遅めの時間帯を提案して、新宿あたりで待ち合わせし、ランチを共にするのが楽しみになっている。味覚も完全に回復しており、最近の食欲は極めて旺盛である。「おい、腹8分目を超えているぞ・・・」という声がどこからか聞こえてくる。
一方で、病気になってからは朝までぐっすり眠れることができなくなって久しい。夜中のトイレ行きにも起こされるので、頑張っても朝4時には目覚めてしまうリズムが習慣になっている。だから、眠つかれない夜の時間にも、明日の昼飯はどこで食べようか、何を作ろうかと考えている。
“生きることは食べることである”