
しなやか広場
2014年6月
「がん哲」日記(その4)
知覧行き
平成26年葉月 菊井 正彦
同じNPO法人の会員にSさんという方がいて、3月初旬に会員が集まるイベントがあり、久しぶりにお会いしました。その時、なんとなく自分史を書きたいと思っていたSさんは、私が「ききがき」という活動をしていることに関心を持ち、Sさんが語り、私が聞き手ということで自分史作りが始まりました。Sさんは私より10歳上の先輩ですが、同じ大学・同じ学部を卒業した者、運動も同じバレーボールをやっていたという事実がわかったということもあり、話が進みました。
軍隊経験のあるSさんは、自分史作りのなかで、当然のように戦友会のことにもふれています。そして、近く鹿児島の“知覧” で戦友会があり、参加申し込みしている、ということを知りました。
“知覧”といえば特攻隊の基地、戦争に関わりない私もいつか訪れたい所、と思っていました。「そうだ、どうせなら、戦争に関わった人たちが傍にいるという状況の中で見学できたほうがいい・・・」と気がつきました。「私でも参加できますか?」とききましたところ世話人の方からも快く了解も得ることができ、5月21と22日に 「少飛17期特攻観音詣での集い」に参加することになりました。
鹿児島への空路は、Sさんもよく利用するという「ソラシド・エア」、名称も軽快、コンセプトは「sola(空)から笑顔の種(seed)をまく」、音階のソラシドとかけているそうです。私は初めてでしたが、シニア割引でチケット手配したというわけです。
戦友会の一行は、他界された方の奥様、ご夫婦の方など全国から22人。1日目の宴会の席では、戦友でもない部外者の私にも感想を述べさせていただくなど、わけへだてないおもてなしに感激し、しばらく口にしていなかった日本酒を味わう機会にもなりました。

戦友会参加者に配布された
資料の一部
『知覧特攻平和会館』では、展示された遺書を読み進み、絶筆を目にしますと、私もやはり涙腺が刺激されることを禁じられませんでした。平日だからでしょうか、遠足の小児や修学旅行?の学生などの見学でそれなりに混んでおり、また、観光地化しているような雰囲気もあるように思いました。ご存じの方もいらっしゃると思いますが、“ユネスコ世界記憶遺産”への登録運動も進んでいます
鹿児島で戦友会の皆様と別れた後、初めての九州新幹線で熊本入りし、高校時代の旧友と再会、翌23日は彼の車で阿蘇へのドライブも楽しみました。 ガン手術後で一休み中、体力がついて元気がでてきているとはいえ、この体調で正直どうなるのかなあ・・・?と思いながらの2泊3日の旅でしたが、それほどの疲労感もなくこと無事帰京できました。好奇心がエネルギーになると、勝手に解釈しながら、いい思い出になりました。Sさんの自分史作りに裏づけがとれ、役立ったことはいうまでもありません
知覧現地では短い時間でしたが、戦友会の式典がありました。用意された『式辞』を読みますと、戦争に関わらなかった私からは、文中にある「今から71年前・・・国土防衛に従事・・・縁無くして復員し・・・85歳の後期高齢者になって・・・残された人生を・・・」のような言葉や表現が印象に残ります。 最近は“寿命ガン”とつきあっていると思っている小生ですが、私も残された人生を好奇心を忘れずに悔いなく生きたいと思っています。