
しなやか広場
2014年11月
「がん哲」日記(その6)
看護婦に癒される
平成26年霜月 菊井 正彦
一昨年11月にガンがみつかり、抗がん剤の処方や手術、検査など治療を受けるために4つの病院で、多くの看護師にお世話になることになって、それは現在も続いている。今、看護職は看護師と称されるが、もちろん、その殆どが女性、“看護婦”だ。
入院中は何回も顔を合わせることになる昼や夜の担当看護婦、リンパドレナージユで脚を揉んでくれる看護婦、ストーマ袋を取替えてくれる看護婦。場面と状況はそれぞれ違っても、声を掛けてくれる時、手当てをしてもらう時に、看護婦が本来もっている女性としてのやさしさに接して、特に男性である自分は“癒される”。
看護婦は何かと患者の身体に触れる機会が多い。以前「ラジオ深夜便」で聴いたことで、看護の草分けと言われたそのスピーカーが、『看護とは、看ること、従ってその基本は“手当てする”ことです』と喝破していたが、患者から観てもそうだと思う。
入院中の場合には、病状によって違うことだろうが、検温、血圧測定に始まって、肌着の取替、患部の手当、食事の世話、入浴の補助などの日常生活から、自己導尿指導(導尿って初めて体験。これ、どんな作業かわかりますか?)に至るまで、看護婦と患者が1対1で、時に性器を丸出しにしながら、さまざまな作業に関わる。入院病棟の看護婦は総じて良くしてくれると感心する。
ただ、入院期間が長くなると(自分の場合長かったのは44日間)、より心地よく過ごしたいと、患者としての我儘がでてしまい、日毎に替わるそれぞれの看護婦の応対をどうしても比較してしまうことになる。その時の気持ちに沿った言葉を投げかけてくれた時には、本当に嬉しい。そして、改めてその彼女の顔と名前を見ながら、「○○さんですね・・・」と覚えようと勤めている。
ある時期、自分の担当になったのが看護師のグループリーダー格の女性で、ベテランで慣れているためか、用件のとき、声をかけてくれるその言葉が単調で誠意が感じられない。不満なので、正直に申し出したこともあった。
一方で想像する。看護婦の方も、人のために役立ちたい、人に寄り添った仕事をと、この道を選び、患者の気持ちを理解しようという姿勢でいるのだろう。だが、日毎さまざまな患者と接するなかで、望ましいコミュニケーションをとろうとするのは大変で、いろいろとストレスを抱えているのだろうなー・・・と。看護婦には白衣の天使のイメージはともかく、案外「気が強い」人が多いということをきいたことがあるが、そうかもしれないと思う。
高齢社会となり、在宅看護や在宅介護が推進されようとしている昨今、看護婦の役割は、病院で患者を看るだけではなく、くらしを支える存在としてますます重要になってきている。願わくば、どこに居てもガン寿命を全うするまで、 “ナースのやさしさ”に癒されんことを!