しなやか広場

2017年1月

私のエッセイ雑記帳(その68)

本当に豊かな暮らしとは何か?

ライフワーク研究家 中村 義(なかむら ただし)

 人類はこれまで長い年月をかけて、より豊かな生活を求め、日々前進してきたし、今もどんどん進歩し続けている。どこまで文明が進めば気がすむのだろうか。人間の欲望は果たして無限で良いのだろうか。本当の意味での豊かさとは何か。物質的な豊かさが、精神的な豊かさや人間本来のあるべき生きざまを奪ってはいないか。
 最近とみに、いろいろと考えさせられる大きな事件や事故や災害が目につく。この辺でちょっと立ち止まって、「平和で豊かな暮らしとは何か?」の本質について、みんなで真剣に考えてみてはどうだろうか。
 人間たちがつくるもの、すなわち人工物は人類以外の自然界に存在するものを犠牲にして発展してきた。どこまで物質文明が進化すれば気がすむのか。どこまで便利さを追求すれはいいのか。もうその限界を考える時期にきている。すでに手遅れになりつつあるものも存在する。たとえば、動植物などの絶滅危惧種などに見られる非常事態である。
 今回の東日本大震災で、誰しも自然の脅威を強烈に思い知らされた。あの巨大地震とその直後の巨大津波は想像を絶した。これらの巨大エネルギーの破壊力で、人間の力ではどうすることもできなかったという事実を目の当たりにしたのである。とりわけ東京電力福島第一原子力発電所の大惨事は、今なお極めて憂慮する事態が続いている。まさに国難そのものであり、まだまだ戦後最大の忌まわしい危機の渦中(かちゅう)にいる。
 私は、今回の大惨事を受けて「本当に平和で豊かな暮らしとは何か?」について、ずっと考え続けている。
 以前、高木仁三郎氏の『市民科学者として生きる』(岩波新書)を読んだことを思い出して、もう一度じっくりと読み返してみた。
 彼は東京大学を卒業後、当時、原子炉を建設中の日本原子力事業に就職し、核化学研究室に配属された。炉水の汚染度研究などの分野について、いくつかの積極的な提案をしたが、ある日、上司より「きみの仕事は会社向きではないのではないか」と言われて失望し、その後、自らの意思で退職した。
 4年余りの勤務経験を通して得た彼の結論は「日本の原子力産業の閉鎖性と構成する個々人の判で押したような均質性は、世界的にも、とくに異常である」というものであった。その後、大学講師などを経て、のちにNGO組織となる原子力資料情報室を創設、市民科学者としての立場から反原発運動へと歩む。
 彼は、1995年に「仮に、原子炉容器や1次冷却材の主配管を直撃するような破損が生じなくても、給水配管の破断と緊急炉心冷却系の破壊、非常用ディーゼル発電機の起動失敗といった故障が重なれば、メルトダウンから大量の放射能放出に至るだろう。もっと穏やかな、小さな破断口からの冷却材喪失という事態でも、地震によって長時間外部との連絡や外部からの電力や水の供給が断たれた場合には、大事故に発展しよう。(後略)」と、日本物理学会誌の論文(核施設と非常事態―地震対策の検証を中心に−)で発表していたのである。
 何ということか。15年以上も前に、現実に起こる大惨事について、専門分野の一科学者として勇気をもって指摘していたのである。が、そのままそっくりの大事故が起こってしまった。原発事業関連者たち、ほかの専門家や研究者や企業や国がどうして聞き入れなかったのか、その責任を問われても仕方がない。
 我が国は、四季おりおりのすばらしい自然に恵まれた国のひとつである。太陽や雨の恵みをありがたく感じ、自然と共に生活する素敵な生きかたができる。
 私は、いつも大切に思っているふたつのことがある。
 それは「人間がつくったものは、必ずゴミになる」ということと「人間がつくったものには耐用年数があり、必ず壊れる」ということ。
 前者は、古来から脈々と続く自然界における絶妙の奇跡のバランスを維持しなければならないということであり、後者は、人工物には絶対安全ということはないということでもある。これらのことをしっかりと肝に銘じておきたい。
 ここで、日本人として生まれて良かったという誇りを忘れてはいけないという意味を込めて、いくつかのすばらしい言葉をあげておきたい。
 もったいない、うつくしい、ほほえましい、いたわりあい、やさしさ、たのもしさ、・・・。
こうした言葉の中には「平和でこころ豊かに生きるとはどういうことか」ということを考えるための大切なヒントがたくさん隠されている。
 人間は「科学技術に驕(おご)ることなく、恵まれた自然環境と共生・共存して、もっと素直に正しく生きることで、より平和な社会へ近づくことができる」という、ごく当たり前のことに、今一度、気づくべきである。そして、このことを私たち大人は、子どもたち、孫たちへしっかりと伝えていかなければならない。
 この先、平和で豊かな暮らしを手に入れることが、必ずできると信じてやまない。

[コラム]空飛ぶ私の書斎
 旅は大好きである。これまで海外では、仕事と観光を含めて60カ国以上の国や地域を訪問してきた。長年、仕事中心の旅を続けていた頃は、もちろん観光の楽しみなどまるで無く、調査や会議で忙しく、ただ往復していただけである。
 リタイアしてからの旅は大きく変わった。やっと「遊び半分・取材半分」の旅が楽しいことに気づいた。企業をリストラされる前に、自ら早期退職してからは、「年に一度以上は海外旅行に出かける」という妻との約束が、もう15年以上も続いているのが不思議である。
 私は旅の途中というか、道中が好きだ。ジェット旅客機で10時間以上も移動する旅などは、一番楽しいのである。大抵の人は、機内では食事、飲み物、テレビ、ラジオ、ビデオなどを楽しみ、そして眠るという日常をそのまま詰め込んだパターンとなって時間を潰す。これは、いかにも、もったいない。
 私は、この時間帯が大好きである。名付けて「空飛ぶ私の書斎」という誠に贅沢な時間と空間を満喫すること。やっと気がついた。遅い。
 「空中書斎」とは、静かな空間(ジェット騒音はあるが、耳栓や音楽などである程度緩和される)で、大好きなアルコール類やコーヒー、ジュースなどを戴きながら、誰にも邪魔されることのない自分の時間をもつこと。これぞ至福の境地だ。
 これから訪問する先のパンフレットや旅行案内を読むもよし、もし帰国便なら、旅のまとめのメモ書きをつくるのもよし。やることは沢山ある。おまけに帰宅後のブログやエッセイ用の下書きとして、そのまま活用できるのだ。日常生活では味わうことの出来ない「空中で書ける」ということが嬉しいのである。
 他にもうれしいことがある。機上でフライトアテンダントを臨時のマイ美人秘書として、いろいろサービスをお願いすることもできる。我が家ではこうはいかない。これまた至福のおまけである。
 折角、海外へ出かけるのだから、単なる物見遊山や買い物ツアーだけではもったいない。記念写真や風景写真も悪くはないが、出来れば自分のテーマに関する情報を集めたい。自分の目で日本との違いや参考になることなどを直接に仕入れることが出来る。
 ある著名なジャーナリストは「自分で実際に見て、感じた情報が一番である。他からの情報には説得力がない」と言う。まさに同感である。旅の話をブログに記録して発信する。アクセスしてくれた人たちから、追加情報が得られる。双方向通信によって内容がさらに豊かに膨れ上がり、上質の情報となる。
 ちょっとした意識の持ち方で、旅は何倍にも楽しくなる。今後は、何としても「宇宙空間の書斎」を体験したいものだ。これが私の叶わぬ最大の夢のひとつでもある。


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