しなやか広場

2016年1月

理事のリレーエッセイ №19 

満喫しました!ニュージーランドで同窓会

Ryoma21理事:鶴池史子

以前、2015年の秋ごろにニュージーランドで行われる中学の同窓会に出席する、という内容のエッセイを投稿しました。このたび無事に帰国いたしましたので、ご報告したいと思います。

学校あげての同窓会

準備は完璧、と思って出発しました。持病をかかえての一人旅、不安がなかったわけではありません。今、思い返せば、確かに反省点は多いのですが、それを上回る楽しさと喜び、満足感にあふれ、とても充実した旅となりました。

10月26日、成田空港を発ち、機内で1泊、ニュージーランドの最大都市オークランドまで11時間。そこから目的地の首都ウェリントンまで、さらに乗り換えです。長いフライトでした。

空港のロビーに、2人のクラスメートが迎えに来てくれていました。最近の写真をメールで事前に交換していなければ、彼女達のことは気付かなかったと思います。 そしてホテル迄ドライブです。懐かしい海岸線、丘の上まで続く家々。他の車とすれ違うことのほとんど無いような空いた道路。昔からあったヨットハーバー、その隣に最近出来たレストランもお客はまばらでした。街中は新しいビルも建っていましたが、全体の風景は50年前とほとんど変わっていない、というのが正直な印象でした。

ホテル周辺は、バスの往来は賑やかでしたが、行き交う人の数は、銀座や渋谷とは比べようのないほど少ない。「これぞ、ウェリントン」とタメ息。  

写真:満喫しました!ニュージーランドで同窓会

さて、今回の同窓会。母校のSamuel Marsden Schoolは、市内にある女子校で、毎年春(日本の秋)に、卒業生を招き、学校あげての歓迎と食事会を主催しているのです。学校の今の姿を卒業生に知ってもらい、青春を共に過ごした友とのつながりを大切に温めてほしい、という考えからだそうです。毎年、10年おきの卒業生が2日間のイベントに招かれます。私は1965年組。今回は1955年組から2005年組までが招待されました。

なつかしい友の笑顔・笑顔

第1日目は終日のイベント。金曜の午後から懐かしい校舎に昔の仲間が続々と集まって来ました。かつての少女たちは今やオバサマたちですが、たちまちあの頃に戻り 「キャー、ひっさしぶり〜」と抱き合い、お互いの近況報告が行き交いました。そのかしましいこと!! 白髪OGも、若いOGも、みな、笑顔、笑顔!

50年ぶりの私にとっては、すぐに名前(ニックネーム)が出てくる人は半数くらいだったでしょうか。中には、「こんな人、いたかしらん?」と内心思いながらのご挨拶も何回か、ありました。  

しばらく旧交を温めた後は、校内の見学です。建物はすっかりリノベーションされ、現役の生徒に案内された教室や運動場は、全く別の学校のようでした。ぞろぞろ廊下を歩いていた時など「暗くて冴えないわね。牢獄みたい」との辛口コメントも、同窓仲間から聞かれました。でも、学校を包む緑は多くが残され、運動場は昔と同じ芝生でした。ただ、以前のように「ランチは芝生で自由に」ということはもうなく、今は屋内のカフェテリアでいただくように変わっています。ここでも「つまらないわね〜」の一言が仲間から聞こえてきました。

翌2日目、学年ごとの集まりです。私達は、現地に住むクラスメートの家でのパーティ、27名もの仲間が集結しました。広々としたリビング・ダイニングでのビュッフェです。オバサマ達の弾んだ声があふれ、華やかで賑やかな午後になりました。参加できなかった友達からの近況メールや、早くに天に召された仲間の名前が読み上げられ、人生の折り返し点を過ぎたことをお互いに再確認。「次回の集まりは5年先にしない?」という意見も出ました。  

写真:満喫しました!ニュージーランドで同窓会

ハプニングの連続

2日連続のプログラムは、同窓会事務所が綿密に準備して作成してくれ、時間や場所など詳しいスケジュールが設定されていました。その第1日目の朝に、ハプニングが! 腕時計の電池が切れていたのです! 携帯の充電器、プラグ変換器、予備用の単3と単4の電池など、用意周到、すべて整えていたのですが、腕時計までは〜!

電池交換には専門の技術を要するため、ホテルのフロントに相談しました。近くに交換してくれそうな店がないでしょうか? すると1人のスタッフが、「これ、使ってください」と腕から時計を外し、貸してくれたのです。その時計で無事、会合に出ることができ、留守中、私の時計の電池交換も難なく処置できました。 旅先での心細さの中、親切がありがたく心に染みました。   

写真:満喫しました!ニュージーランドで同窓会

連続行事もすべて終わり、土曜日の夜。 疲れが積もって早々ベッドに。と、想定外の事件が。夜中の零時過ぎ、ホテルの火災報知器がウイーンウイーンと鳴りだしたのです。「速やかに非常口から外へ避難してください!」のアナウンスも繰り返し聞こえてきます。
「誤作動じゃないの?」と考えたりしながら、あわててパジャマのままで靴を履き、そばにあったショールをわしづかみにし、非常階段に向かいました。部屋は20階! ダ、ダ、ダと勢い良く降りていく若者を横目に、手すりにしがみつきながら、何とか1階までたどり着きました。脚はガクガク、もう少しでつりそうです。他の宿泊客達と一緒に、ホテル裏の暗い路地で、様子を見ていましたが、幸い、ボヤだったようで、大事には至らず、1時間ほどで部屋に戻れました。

翌朝、腹部に激痛が。熱もあるようです。ホテルの勧めで、ウェリントン病院の救急外来へ。日曜日だったため、すでに12組もの患者が待っていました。腹痛はおさまりません。ナースから「ここより時間外診療所のほうが早い」と教えてもらい、車に乗ること10分。痛みをかかえながら、初診手続きのし直しです。検査の結果、膀胱炎が疑われる、との医師の診断でした。抗生剤を処方され、熱も下がり、なんとかしのぐことができました。

友は、宝

それからの2日間は、ホテルの部屋でおとなしく横になっていました。おかげで、帰国直前には快方に向かい、週末明けに約束していた友達とランチもでき、楽しいお喋りのひとときが持てました。他にも、心配して電話をくれた友、ホテルまでわざわざ様子を見に来てくれた友、「滞在延期してわが家に泊まれば?」という誘いまでくれた友もいました。
多くの仲間のそんな優しい励ましのおかげで、私は何とか、帰りのフライトにたどり着き予定通り11月4日に帰国出来ました。

友達っていいものですね。 この50年間、クラスメート達がそれぞれ、いろいろな経験を積んできたことを知りました。苦しみや悲しみもたくさんあったでしょうが、そんな中でも、力強く、しかもエレガントに歳を重ねてきたことを、彼女達に直接会うことで、深く感じることができました。それが今回の大きな喜びです。

次回の会は2025年、またぜひ参加したいと思います。「その前までには、日本に行くから〜! よろしくね〜、フミコ!」 狭いウサギ小屋にはお泊めできないけど、笑顔で「待ってるわよ〜」と答えていた私。 

何とかなる! そんな結論に達した、今回の旅でした。 

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